このお話は
ちょうど 9年前の夏に 書いた ゆず庵社長の手書きの
ゆず庵新聞を ブログ用に打ちこんだ。
牛追い祭り
それは2001年 7月の事じゃった。
追手筋に マーチンというスナックがあったがよ
そこで 飲みよったら マスターのマーチンが
近ちゃん こないだ スペインのサンフェルミンに
行っちょってねえ こじゃんと 面白かったき
来年も行こうと思うちゅうけんど
近ちゃん一緒に行こうや と誘われ 酔うた拍子に
「よっしゃ行こう」と 軽う 返事をしちょった。
ほいたら 今年の 6月ばあよ
「今年 スペインの牛追い祭り行くで~」と ま~ちんが言う。
あ~ まこと そういやあ 約束しちょったわ。
実は 去年 その 牛追い祭りと トマト投げをテレビで見ちょった。
去年 牛と一緒に走って死者 けが人が
100人ばあ 出るといいよった。
ま~死ぬまでに 1回は 行って 走らにゃーいかんち思いよった。
なんでも スペインのパンプローナ言う所は
人口15万ばあの町へ牛追い祭りのときは
30万人にふくれあがるらしい。去年もホテルはいっぱいで
部屋がとれいで野宿したと。
ほいで 今年は1年前から予約してやっと取れた
ところがホームステイやと。
かくして
7月5日から 8日間 行くことが決まった。
マーチンは もっと長く ヨーロッパにおるというて
14日間。
ゆず庵は その晩 一足先に帰ると さてと 出発の前の日
スーツケースに荷物を詰めて(いつもは当日の 朝ギリギリに
荷物をするが)
マーチンが言うに 高知空港発は10時20分
関空着が11時 なんと パリ行の 飛行機が11時50分という
「え~ 2時間前にチェックインせんと いかんがやない~」
と聞くと 「40分前でえい」 と 言う。
けんど 高知空港出るときに スーツケース 預けよったら
ベルトコンベアーから出てくるのに待つのが時間かかったら
遅れたらいかんきに
前もって 関空行の
チェックカウンターの近くの宅急便へ送っちょったら
さっと送って パッと行ける」 と 言われた。
パリ行のチェックカウンターの近くの宅急便の荷物預かり会社は
ここやきと 電話ナンバーを渡されたけんど その会社は
出発の 2日まえやないと高知から関空まで届かん と いう。
なかなか 段取りの細かい緻密スケジュールのマーチンである
で 前日 夜9時までに 預けたら 翌日9時には関空4階へ 着く。
逢坂峠の佐川急便で送った。
さあて 出発 の 前の晩 「ま~ちん」へ 飲みに行った
「まーちん 明日朝 10時20分の飛行機やき」 と
確認をとって 夜中2時ばあにマーチンの店を出て
帰って寝た。
次の日らくらく なんせ 荷物なしで 関空まで行けるらあて
始めてやし
おまけに チケットもまーちん任せで 持ってない。
と いうのも 出発2日まえに 旅行会社に お金払うて
チケット貰おうと思うたらごそごそ マーチンの分とゆず庵の分を
分けゆう。
その男は エリックと言って 4ヶ国語を喋れて おまけに
週に2日マーチンの所でバイトをしゆう ほんで フランス語と
英語の教室もひらいちゅう。
いられの近ちゃんは 「いや 時間がないきマーチンに渡いちょって」と
言って 細やかな段取りのする マーチンにまかいた。 と
次の日
8時に起きて 嫁に 高知空港まで 乗せて行ってもろうた。
やばい 飛行機出発が10時20分やのに 空港に着いたのが
丁度10時 マーチンがおらんやいか
探しまわりゆうけんど おらん。
チケット渡しちゅうき チェックインも できん。
ほいたら 10時5分に携帯の電話が鳴った。
「近ちゃ~ん ちょっと 遅れちゅうけんど
チェックインカウンターの前におって さっと チケット渡して
しゅっと行けるき」。
それから 10時15分になっても来ない。
タクシーおり場を見たら 10時20分
やっと マーチンがきた。
あわてて そのまま カウンターへ行き 「お願い のせて~」
と頼みゆう。
カウンター嬢が言うた 「さっき 電話があって
お待ちしておりましたが 滑走路へ移動中ですので」
まーちんが言う 「けんど 関空 11時50分やき どうしたち
乗らんと間に合わん のせて~」
飛行機は 飛んで行った。
「とにかく 落ち着いて 今から どうするか
後ろのイスに行って 考えろう」。
「あっ エリックに電話しょう」。
かけながら 「近ちゃん ごめんよ~」。
と 一番落ち着いてないのは まーちんである。
嫁は さっきから 笑いゆう
「あ~ 送って きて 帰らんと ここにおって 良かった~」
「飛行機に遅れる人らあみるがあ 始めてや」
「あ~ おかしい~」 と さっきから
腹を抱えて 笑いまわりゆう。
明日に続く。
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